「旅はいいぞ」

はじめまして、Yoshiです。

 何をテーマに書こうかと悩みましたが、師走ということで今年史上一番のイベントを振り返ろうかなと思います。

 昨年の12月ごろ、「なんか面白そうなことないかなぁ」と考えていた。そんな中、同じ大学の友人から「滋賀の実家まで、チャリで帰ったよ。楽しかった!」と聞き、これは面白いかもと思ってしまったのが事の始まり。

当時、自転車も持っていなかった僕は、友人にクロスバイクの制作を依頼、1月に納品を受けた。春休みに入ると同時に着替えや寝袋、変えチューブ等々最低限だけ持ち。あとは、茨城から大阪まで行きたいなくらいの気持ちとともに程もろくに決めず出発した(10km以上の走行もパンクの修理も一人旅も未経験)。私は本当に成し遂げられるという不安となんだか行けちゃいそうな気がするという希望、そしてこの旅で自分は何に出会い、どんなことに気づけるだろうかという好奇心に呑まれていた。

長くなる為、旅程の大半を割愛することをお許しください。

 とまあ、そんな調子で出発した僕だったが、もちろん無事ではなかった。

出発して6時間後にタイヤがパンクしたのである。ネットで調べつつ、用意だけをしてきた道具で対処し事なきを得た。どうにかできると思っていた予想は的中したし、冒険的でなんだか楽しかった。

その後、順調にネカフェに泊まりつつ、なんとか箱根付近までたどり着いた。がしかし、ここで問題が起きる。冗談抜きで「あ、やべ、死ぬかも」と思うような問題だ。残雪のある箱根の急峻を下っていると雨が降り出してきた。車とすれ違った直後、カーブで後輪がスリップし、時速30kmほどで走っていた私の身体は道路のど真ん中に放り投げられた。ギリギリ怪我こそしなかったが、右のブレーキレバーが破損。どうしようか迷ったが続行は危険すぎるため、チャリでの下山は諦めた。本当に悔しかったが、近かった芦ノ湖のバス停から、輪行バックを用いてどうにか三島まで向かった。チャリの修理のために自転車屋を三件ほど巡り、ようやく修理することができた。死にかけるようなことはないようにしようと思いながら、その後は順調に静岡、愛知、三重、京都まで向かった。

 京都では知人(社会人)の勧めで一緒に京大をみてみようということになった。歩っていた学生に声をかけ、おすすめのスポットを良いか聞いたところ吉田寮と熊野寮であった。そんな状態で吉田寮へと行くと、CLUBYOSHIDAというイベントをしながら、翌日に控えた京都大学一般入試の際に受験生に配る寮パンフの折り作業をしていた。暇だったので、折り作業を手伝いながら寮生とおしゃべりをした。話していると、どこから来たのとか色々雑談をして仲良くなり「泊まっていけば?せっかくだから、お疲れコンパ(受験生に対して行う)に参加したら?」ととんとん拍子に話が進んだ。結果、10日間も居候することになった。

 吉田寮パンフの配布作業、あの有名な立て看作り、キットカット配り、抗議活動等々京大で有名なイベント?に参加し、色々な人と出会うことができた。非常に楽しく、昭和の学生運動が盛んだった時期の大学生気分を少し味わったかのような感覚であった。この時、このままもっと旅をしたい、ただするだけじゃつまらないから野宿もしたいと思い、新しくできた友人の家にメルカリで送りつけさせてもらった。そんなこんなで、ようやく一旦の目的地大阪まで到着した(17日目)。

 大阪では程よく観光しつつ、この先の旅路を考えてみた。せっかくここまで来たし春休みはまだまだある。広島も四国にも行けるなと心を決めた。

 大阪を出発して、よし、ここから野宿もしつつ行くぞと思い。兵庫で一度野宿することを決めた。しかし、まだ3月上旬夜の気温は0度近い中での野宿。クソ寒いなと思いながら、手持ちのもので試していくうちになんとかなりある程度安眠できた。(色々無理があった気はする)そんなことをしながら、無事に兵庫、岡山と観光をしながら旅をした。そして、ついに四国、マリンライナーを用い輪行し高松まで向かった。本当はここが四国のスタートになるつもりだったのだが、地図を見ると徳島市が近いなぁと思ってしまった。すぐさま特急うずしおへ乗り込み徳島へ。ここからは、徳島でお遍路を少し回り、香川でうどんを食べ歩き今治まで行った。四国ではほぼ野宿だったし、立ち寄った色々なとろころでほぼ毎日何かしらをもらってしまった。人の暖かさに触れられた非常に良い場所であった。その後、しまなみ海道、とびしま海道を経て広島に入った。本当に綺麗なので、サイクリストにはぜひいってほしい。

 広島では、原爆ドーム付近で語り部をしている人と仲良くなった笑。一緒にランチにいき、3時間ほど、原爆についての講義をしてくれた。本当に温かい人たちだった。翌日はたまたま広島に帰省していた友達と厳島神社を観光し友人宅に一晩泊めさせてもらった。その後、山口を目指すのだが、また大問題が起きた。タイヤがチューブを交換してもすぐにパンクするのだ。最後にパンクをしたのは田舎の周り数キロに自転車屋はなく修理する術がない夕暮れ時。今回の旅でこの時以上に絶望感を感じた時はない。「どうしよう、16km先の自転車屋まで歩くか…お腹空いているが周りにコンビニすらないな…」みたいな感じである。呆然と立ち尽くしていると近くにある自動車工場から出てきたおばさんが声をかけてくれた。そして、工場のおじさんたちが出てきてくれた。するとおじさんの一人が、近くのホームセンターまで送っていってくれて、チューブは手に入らなかったが補修パッチを手に入れることができた。なんとか工場まで歩いて戻り、道具を借りながら初めてのパッチ修理もなんとかなった。

 修理中に気づいたのだがタイヤにとても小さなガラス片が刺さっていたのが原因だった。もう日は暮れてしまったが、工場の人たちにお礼を言い再度出発をした。本当にありがたかった。

 そんなこんなで、ようやく関門海峡の下を通り九州へ上陸した。

 九州では、親父の友達の厄介になったり、祖母のいとこを訪ねてみたりしながら、大分まで到着した。大分では、別府の7地獄を巡るなど観光をした。この時点でもう春休みが終わるまで1週間ほどだったと思う。「どう帰宅するのが面白いだろうか、もっと色々巡りたかった」と思った僕は、青春18切符を用いて九州と山陰を巡って帰宅すれば、楽しそうだなぁと思った。しかし計30kg近い荷が邪魔すぎた。最低限の荷物をリュックにまとめ、自転車をもち、残りの荷物は自宅へ郵送した。

  18切符を用いた旅も初めてで何もわからなかった。計画としては、電車で有名なスポット近くの駅まで向かい、自転車を組み立て現地へ赴き、また次の場所へ向かう宮崎を経て、鹿児島へと向かった。時間がもったいなかったので駅で自転車を組み立て、徹夜で桜島でサイクリングをし日の出を見た。桜島の雄大さに感動した。そのまま銭湯で体を休めて、雨の中熊本城を見学し、夜中に福岡の太宰府まで行った。

 ネカフェに泊まり早朝に太宰府天満宮に参拝に行った。今は、仮神殿なのだが、とても素晴らしく美しい設計であった。その後、10時間ほど電車に揺られなんとか出雲に到着した。駅近くで泊まり、早朝、出雲大社に参拝し、博物館を見学そして、電車で鳥取へ、自転車で鳥取砂丘まで行き、電車でその日中に滋賀の彦根まで向かった。翌日に茨城まで帰宅するためには始発に乗った方が良かった。徹夜で駅近くのカラオケで時間を潰しなんとか始発に乗ることができた。今まで感じたことの内容な安堵感を感じ、家ってやっぱりいいなというのが自宅に帰った時の感想である。

 帰路は、かなりやりたい事を詰め込んだ結果かなり徹夜もした。しかし、移動時間も長かったため旅を振り返る本当に良い時間だった。

 初めての一人旅、チャリ旅、18切符旅をトラブルはありつつも無事に完遂し達成感に包まれた。この旅全体を通して、勇気と問題解決能力を持てば大概のことは乗り越えることが出来る。多少、辛いことや苦しいことがあっても意外と周りには優しくしてくれる人もいて、一見一人に見えてもいろんな人が支えてくれている。結構当たり前だよなと思うことかもしれない。けれど、普段は絶対にしないことをするからこそ、当たり前が自らの血肉に変わり自分自身を作り上げてくれるのかなと思う。これからも旅にでて自分を過酷で新しい環境に置き、一期一会を楽しみ、今回出会った人々のように優しくありたい。

 今回の旅で出会った皆さん本当にありがとうございました。おかげで本当に楽しめました。

 皆さんもぜひ、旅で自分と向き合ってみてください。新たな出会いや気づきがあるかもしれません

 拙文を、ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。