2日間お付き合いいただいたみなさま(そんな物好きな方いらっしゃいますかね…)、ありがとうございます。いよいよ完結編です。東京までの長い帰り道の様子をご堪能ください(?)
7.Je t’aime, Carrefour !
8日目。ナイロビに帰る。朝車のタイヤがパンクするという事態に陥るもなんとかしたらしく、再び赤道を跨いで南半球へ。そしてナイロビに帰る途中で大地溝帯を見に行った。なんかすごく大きな溝だった。地理好きとしては堪らなかったが写真や文字で伝えても面白いものではないのが残念。その後はお土産を買うためにナイロビのおハイソな地区にあるショッピングモールへ。お金持ちが集うショッピングモールらしく、ちゃんと綺麗だしお店も充実している。パンク騒ぎのせいで時間が全然なく、モール内のスーパーで大急ぎでお買い物をすることになった。ということでスーパーまでぞろぞろ歩くと、赤と青でCarrefourとでかでかとかかれた大型スーパーが目の前に現れた。泣きそうだった。カルフールの安心感よ。君さえいれば何もいらない。マサイマーケットとかどうでもいい。と浮かれながら速攻でお買い物。わかったことはケニアには特に名物はない(ごめんなさい、でも本当にそうなんです…)。この日の夜は最後のディナーということもあり同じくおハイソな地区にあるエリトリア・エチオピア料理のお店へ。かの有名なインジェラ(オフチョベットしたテフをマブガットしてリットにするやつ)やイタリア植民地の名残で名物らしいイタリアンを食べた。インジェラは苦手だったが久しぶりに食べた欧米の食べ物はとてもおいしかった。食後はすぐホテルへ。この日のホテルは4日目に泊まった素晴らしいホテル。しかも今回は僕たちの部屋が2人部屋とは思えない広さでとても快適だった。とりあえずサイドテーブルも含めるとテーブルが3台、良さげないす3脚、冷蔵庫、手をかざすと自動で蓋が開くゴミ箱、大きな薄型テレビなどなど。というかヨーロッパのホテルより断然広い。ベッドも大きくて清潔で最高だった。せっかく広い&最後の夜ということで僕たちの部屋の主2人+深夜に声をかけて反応してくれた3人でお菓子なり飲み物なりを持ち寄ってスタディーツアーのあり方なり国家天下なりについて話し合った。思いのほか白熱して気づいたら朝の4時だったが充実した時間だった。
翌朝、というかベッドに入って2時間後。目覚ましが鳴る。眠い。目覚ましを止める。気づいたら寝落ちしてる。次に気づいたら7時40分(この日の出発は8時)。焦る。幸い前日にパッキングは済ませていたので急いで着替えて出発の準備をし、ギリギリ時間通りにフロントへ。朝4時まで話していた他の部屋の3人は普通に元気そうで人間としての格の違いを実感した。寝ぼけながら車にのり、マサイマーケットでお買い物をする人はして(僕は寝ぼけながらお店を徘徊していた)キリンの保護施設であるジラフセンターへ。キリンに餌をやり、ジラフセンターについての説明を睡魔と戦いながら聞き、最後の食事処へ。ここまで基本ケニア料理しか食べてこなかったが、最後はアメリカンなハンバーガーで締めた。そして車で空港に向かい、ドライバーさんたちとお別れ。他の人たちはエチオピア航空、僕だけカタール航空だったが運良くターミナルは同じだったのでみんなで一緒にターミナルへ。建物に入る前に軍人に連れられたなにかしらの探知犬のチェックを受け、建物に入ってすぐ謎の手荷物検査をし、各々チェックインと荷物の預け入れを済ませる。出国の前にエチオピア航空勢と落ち合えたので一緒に出国し、またまた保安検査を受けてゲートへ。カタール航空の方が出発は10分遅いのに搭乗時間は15分早く、最後に軽く言葉を交わしただけですぐにぼっちで搭乗口に向かった。しかも搭乗時間前に搭乗始まってるし…。そんな感じで慌ただしく機内へ。バイバイ、ケニア。もう十分堪能したからおうち帰りたいです。はい。
8.オイルマネーってすごい
ケニアを脱出した僕は一路カタール・ドーハへ向かう。エチオピア航空と違ってカタール航空の安心感すごい。ということで6時間かけてナイロビ・ジョモケニヤッタ国際空港からドーハ・ハマド国際空港へ。機内食がちゃんとメニューで案内される。当たり前のことでもありがたく思える。ちなみにメニューで案内されるということは食材に手の込んだアレンジをしているということでもあり、案の定機内食はあまり食べられなかった。そして寝た。それはもうぐっすり寝た。
夜11時過ぎ。ドーハに着陸する衝撃でも目覚めず、周りが慌ただしく降機の準備を始めた段階で起きた。そんなこともあり、座席が後ろの方ということと相まってほぼ最後に飛行機を降りる。と、カタールが誇る超近代的な空港がお出迎えをしてくれる。冷房も効いてるしLEDがいっぱいで明るい…!そして大量の白色LEDに照らされながらとんでもなく要領が悪くやる気もないイミグレで1時間近く待った。係員の指示で各ブースごとに並ぶのだが、僕が並んだブースはハズレ中のハズレだった。あのさ、入国審査されてる人そっちのけで談笑するのやめよう…?おかげでナイロビ便のLast Baggageになっていたスーツケースを無事回収し、終電も見事に逃したのでタクシーでホテルへ。車窓からドーハの街を眺めていたが、夜でも明るいしなんか街灯がおしゃれだしケニアとのギャップをとても感じた。極め付けはホテル。いいホテルをとった自覚はあるが、ケニアの後ということもあってもう情緒が不安定になるほどよかった。(当然のことなのだが)深夜1時でもポーターさんがたくさんいるしロビーのシャンデリアがヴェルサイユ宮殿くらい大きい。ジムもプールもある。なんかいい香りもする。ケニアの御伽話みたいな部屋の鍵と違ってカードキーだしエレベーターもカードキーをタッチしないと動かないタイプ。そして部屋に入ると、ほわぁっていう声がでた。広い。綺麗。豪華。人生で一番広いし豪華。一旦荷物を置いてルームツアー。まず水回りチェック。シャワースペースにちゃんとガラス扉がある!人間の行動を念頭に設計されているありがたみよ…。洗面台は鏡も大きいのと小さいのがあるしアメニティもいっぱい。ドライヤーもあるし清潔でふかふかのタオルが何枚もおいてある。バスローブもある。もう感動。そう。ホテルってこうじゃなくちゃね。そしてミニバーにはお決まりのエスプレッソマシンとかケトルとか冷蔵庫とかその他諸々。ペットボトルの水が4本もある。大きいクローゼットもあるし使わないが大きめのセーフティボックスもある。ああ、ようやく心から安心して快適に過ごせるホテルに出会えた。とここまではちょっと今までの常識を覆すようなホテルに泊まっていたことからくる感動なのだが、本題はここから。まず照明システムが全てタッチパネル管理なのだが、部屋が広い上に照明もたくさんあるのでどれがどれだか把握するのに時間がかかるくらい。そして4人くらい座れるソファが1台と1人がけのソファが2台。両手を広げるサイズくらいのテレビ。一般家庭のダイニングテーブルくらいの大きさの机と椅子。3辺合計158cmサイズのスーツケースでもなんの問題もなく置ける荷物台と大きなチェストが2つ。極め付けはベッドで、2m四方くらいはあるのではないだろうか。振り返るととても子供じみた行動なのだが、寝るときにまず普通に寝て、その後浮かれて真横に寝てみたのだが真横でも十分余裕があった。あのベッドの幅おかしいって。とこんな感じで豪華極まりない部屋である。うっきうきでとりあえずシャワーを浴びる。お湯があったかいし水圧も水量も申し分ない。ああ快適。そもそもケニアではシャワーを浴びるときですら水が口になるべく入らないようにとか気をつけなければいけなかったので水を気にせずに清潔かつ明るい環境でシャワーを浴びられるのが幸せすぎる。汚れとか気にせずにタオルに顔を埋められるのも最高。がっちりしたドライヤーがあるのも最高。バスローブがあるのも最高。とにかくずっとうっきうきだった。シャワーを浴びた後は空間を広々と使いながら荷物整理をし、水道水を使って歯磨きをし(ケニアではずっとミネラルウォーターを使ってた)、ふかふかかつ広々としたベッドで枕を4つふんだんに使いながら寝た。もう幸せすぎた。
翌日、というかその日の朝。どうせ飛行機は翌日の未明発。ドーハは日中暑いということもあって営業時間が11時〜24時くらいのお店が多く、ケニアではずっと寝不足だったしゆっくり起きようと思い8時すぎに起きた。だらだら準備をして9時くらいになり、予定よりちょっと早いがせっかくなので朝からやっているスークワーキフと近くの観光名所を回ることにした。スークワーキフの目の前のホテルなのでスークは徒歩ですぐ。朝の時点で気温は30℃を超えていたが、湿度が高くて息苦しい東京の夏を生き抜いた人間にとってある程度乾燥している30℃ちょっとなど恐るるに足らず。30分くらい歩いていろいろと見物。世界史に出てくるスーク/バザールのスークである。アラビアンな市場、というだけで何を買うというわけではないが心が躍る。といっても朝は開いているお店も少なく、ほどなくして撤退してスークワーキフのメトロの駅へ。ドーハ到着時は不運が重なり?終電を逃したのでメトロに乗るのは初めてだが、まず駅が綺麗。この綺麗は清潔というのもそうだし内装のセンスも然り。ピクトグラムのセンスもいい。そして電車の中も綺麗。さすが石油で儲かってる国はお金のかけ方が違う。ちなみに駅も電車の中ももちろん冷房ががんがんに効いており、これは鉄道施設に限らず美術館でもショッピングモールでもスーク内の小さな店でもそうである。産油国だけあって光熱費が破格らしく(ちょっと前まではタダだったとか…)、羨ましい限りである。それはさておき、30分くらいメトロに揺られ、ドーハの北の方にあるカタラへ。ここは大きいモスクや昔のカタールの街並みを再現した場所があるカタラ文化村という施設があるらしく、そこが目的地である。が、そんなことがどうでもよくなる大事件が発生する。カタラの駅で降り、地上に出た瞬間、目の前にデパートがあることに気づく。ほーん、と思いちらっとみると、見間違いようのない、見覚えがあるロゴが目に飛び込んでくる。“Galeries Lafayette”と確かにそう書いてある。うわあああああああああなんでこんなところにあるのぉ!?!?!?と正常な判断能力を失った僕は気づいたらギャラリーラファイエットの中にいた。こればかりはしょうがない。人間の本能である。ちなみにドーハはかなり暑いのでこの時期日中出歩いている人間は観光客を含めてほとんどおらず、ギャラリーラファイエットにもお客さんは僕ともう1グループしかいない。せっかく空いてるし心ゆくまで隅々まで見るぞ…!と息巻いていたのだが、フロアマップを見て愕然とする。まず3フロアしかない。そして1階が香水、2回が婦人服、3階が紳士服。終わり。え…?食品フロアはないの?パリ中のお土産を集めたフロアはないの?カフェは?フードコートは?屋上の展望デッキは?…ない。ここは僕が愛したギャラリーラファイエットではなかった。さようなら。気を取り直してカタラ文化村へ。とりあえず暑いしモスクの中へ(ここはムスリムではなくても中を見学できる)。人もいないし涼しいし快適。そして綺麗。中ではイスラームについて解説するビデオを見せてもらい、人がいないせいかとてもフレンドリーな案内役のお兄さんと仲良くなっていろいろと話した。イスラームは世界史でやったしSセメで文学部のイスラム学概論なる授業をとっていたので(英語で表現できていたかは別として)イスラームに関して意見交換?をし、さらに僕自身は無宗教だが日本では神道や仏教が根付いているし中高はカトリックのミッションスクールで大学では駒場時代に東洋思想を勉強したということもあって比較宗教学とか比較文化学っぽい話を小一時間した。あと日本人は珍しいのか、イスラームはテロやジハードと結びつけて語られることが往々にしてあるが日本ではどうか?と聞かれたり日本にムスリムはどれくらいいるのか?などなど日本でのイスラームの現状についてかなり聞かれた。加えていろんな宗教に触れているのに無宗教であることがすごく気になったらしいのだが、宗教がなくて不安じゃないのか?みたいな聞かれ方で(その人個人の感覚かもしれないが)自分が信じる宗教がきっちり定まっている人は無宗教に対してそう思うのか、と新鮮な気分だった。無宗教と無神論は違うからねー…的な話をしたら思いの外このトピックが盛り上がり、無宗教って言っても今は一言で言い表せる名前がないだけの宗教では?とか何個かの宗教を融合した宗教が歴史上存在するけどもしかしたら今後日本で宗教的カリスマが現れたらマニ教の現代版みたいなものができるのかね?みたいな話をした。そんなこんなで長話をし、大学といういろんな価値観に触れられる環境にいるのだからいろんな文化をよく理解し、よく比較しなさいと言われて送り出された。彼個人の性格なのかもしれないが、イスラームを全面的に推してくることは全然なく、欧米の人はこういう価値観だけどイスラームではこうなんだよ、といった感じで自らの価値観の軸は持ちつつも異なる価値観も理解し尊重するという姿勢が印象的だった。多様性の尊重ってこういうことなのかな、とも思えた。いろんな面ですごく学びが多かった。
モスクを後にし、ブランチのために駅の近くにあったカフェに入る。例の如くお客さんが誰もいないが気にしない。1人で寂しいでしょ?と大きなパンダのぬいぐるみを隣に置かれたときは反応に困ったが…。かわいそうに思ったのかいろいろサービスしてくれたしレモングラスアイスティーが人生で飲んだレモン系の飲み物の中で一番美味しいと断言できるほど美味しく大満足。その後はメトロでカタール国立博物館へ。先史時代からのカタールの歴史が一通りわかった。…が、カタールという国自体が新しい国ということもあってカタールの歴史というよりはアラビア半島の遊牧民の歴史という感じもあり、“歴史”としては内容が物足りなかった感もある。そう考えると有史以来(何が統一国家と言えるかという問題はあるが)地理的にも時間的にも大部分は一つの国家が存続し続け、時代ごとに特徴的で色鮮やかな文化が栄えた日本の歴史は特徴的なのかもしれない。そんなことを考えながら博物館を後にし、使える公共交通機関が全然ないので39℃の炎天下を20分歩き、イスラム美術館へ向かう。道中心が折れかけた。さらに当然ながら歩いている人間は全然おらず、いいカモに見えたのか白タク?の運転手に声をかけられた。運が悪いことに、当然歩行者がいることがあまり想定されていないので幹線道路の横断歩道の赤信号はとんでもなく長く、そのタイミングで捕まったので逃げ場がない。面倒くさいな〜と思って今ホテル帰るところでその後すぐ空港行くから…とか適当に言っていたのだが全然引いてくれない。が、なんとなく癖で着けていたマサイビレッジで買わされたブレスレットが目に入るなり彼の態度が一変。どうやらケニアの出身らしく、Oh my brother!みたいな感じで急に優しくなり、強引な勧誘をやめてくれた。水分摂るんだよ!とか気を遣ってくれ、無事解放された。そんなこんなでなんとかイスラム美術館に辿り着き、暑すぎたのでまずカフェで休憩。レモネードがこれほど沁みたことはない。落ち着いたところで館内を見て回る。ルーブルみたいに世界的に有名な何かがある、というわけでは(おそらく)ないのだが、異国情緒あふれる金銀財宝がたんまりあって心が潤った。
美術館を一通り見終わったのち、ひとまずホテルに戻って涼もうと思い徒歩20分かけてホテルへ。イスラム美術館のアクセスどうにかならないものかね…。なんとかホテルに戻って小休止&夕方以降どこに行こうか考える時間。とりあえずお土産を買わなければいけないのでモールに行ってお買い物をすることにした。庶民向けらしいショッピングモールに行くと、お馴染みCarrefourがあったのでお買い物。中東土産といえばデーツだがあんまり好きではないので香辛料やナッツ類を買い、他にいいものないかな〜とふらふら見ていたときに偶然見つけたArabic Coffeeといういかにもアラビアらしいものをよくわからずに購入。ちなみにArabic Coffeeは家族に大不評だった。一つだけ言い訳をすると、パッケージは全てアラビア文字で書いてあり棚に大々的に書いてある“Arabic Coffee”しか情報がなかったから許してほしい。一通りお買い物を終えて一度ホテルに荷物を置き、18時くらいとちょうどいい時間だったので再びスークワーキフへ。夜のスークはアラビアンナイトの世界そのままですごく心が躍った。しかもスークと聞くと治安が心配になるがそこはさすがカタール、監視カメラが至る所にあり警官も頻繁に巡回しているおかげでとても安全かつ押し売りもいない。まあ買う物は特にないし迷子にはなったのだがぐるぐる見て回るだけでも楽しかった。なんとか迷路状のスークを脱出し、思っていた駅とは違う駅からメトロに乗る。最後の目的地はカタールワールドカップの会場になったスタジアムの隣にあるモール。ヴェネツィアを模しているらしく、施設内に運河があってゴンドラが走っている。伝わるかどうかわからないが一昔前までお台場にあったヴィーナスフォートをより豪華にした感じ。夜ご飯を食べようと思って行ったのだが、この期に及んで1人でお店に入ることに尻込みし、あまりお腹が空いていなかったこともありジェラート屋さんへ。なんかサービスしてくれたし美味しかった。ジェラートを食べ終わって一通りモール内を見て周り、今更ながらもしかして1人で観光してる人異質なのでは…?と気づいた。だからどのお店もいろいろサービスしてくれたのか…?
ちょっとした孤独感を感じながらホテルに帰り、シャワーを浴び、ちょっとだらだらする。少し早い気もするが9時過ぎくらいにホテルを出て空港へ。オンラインチェックインをしていたので荷物だけ預け、空港散策をした。有名な巨大テディベア?を見たりHarrodsをみたり巨大ターミナルをぐるぐるしたのち、疲れたのでラウンジへ。可もなく不可もなく、というくらいのラウンジで睡魔と戦いながらのんびりし、ふと見た案内板で搭乗開始時刻30分前なのにboarding表示になっていたのでそんなことある?と思いつつも急いで搭乗口へ。まあ案の定搭乗は始まっておらず硬いベンチで待つことになったのだが…。周りが日本人だらけでまだドーハなのに帰ってきた感がちょっとあった。目の前でバルセロナのお土産広げてた人、羨ましい限り。いいなあ、ヨロッパ…。硬いベンチでヨーロッパ帰りの日本人たちを羨むこと30分、ようやく搭乗時間になり機内へ。体感搭乗者の8割は日本人だったのだが隣の席が偶然日本に1人旅に行くというドイツ人で、お互い1人ということもあって?仲良くなり、搭乗から1時間経っても全然動かない飛行機の中でケニアのこととか東京近辺の観光スポットこととかドイツの観光スポットのこととかいろいろ話した。とてもドイツ(特にベルリン)を推してくる人で、次の旅行は絶対ベルリンだからね!!!と謎の約束をさせられた。
9.成田は千葉(1年ぶり2回目)
9月22日、18時過ぎ。尾翼に紫色でアラビアオリックスが描かれた機体が成田空港に着陸した。10時間30分のフライトを終えた機体は酷使した羽を休めるかのようにゆったりと駐機場へ向かっていく。機内では“当機はただいま東京・成田国際空港に着陸いたしました…”というアナウンスが流れ、乗客たちは手荷物をまとめ始める。そんな中、機窓からカラフルなライトが散りばめられた誘導路をじっと眺めながら一人涙する乗客がいた。僕である(なお着陸時の気圧差で目が痛くなり涙を流していた模様)。ただ本当に涙が出そうなほど“東京”という響きに心を打たれた。僕は東京に帰ってきたんだ。やはり僕がいるべき場所は東京だ。わずか10日ほどではあるが、遠く異国の地でどれほど東京が恋しかったことか。いままで当たり前に暮らしてきた東京のありがたみを知った日々だった。機体が完全に停止し、飛行機を降りて空港へ。日本語が聞こえる安心感を噛み締めながら検疫や入国、税関を突破し駅へ。本当に長い2週間だった。電車で帰ろう…と、完全に帰ってきたモードであった僕だが、ここである事実を思い出す。みなさん、お気づきであろうか?そう。ここ、羽田じゃない。成田。千葉県成田市古込1-1。千葉県。成田市。帰ってきたという安心感に包まれたのも束の間、2時間弱の鉄道の旅が始まる。成田遠すぎるって…。2時間弱って飛行機なら羽田から新千歳行けるんですが。最後に国内旅行が待っていることをすっかり忘れていた。そこそこ憂鬱になりつつ帰路についた。
おわりに
お帰りなさい!いかがでしたか?愚痴っぽいことをつらつら書きましたがそれ以上に楽しいことがいっぱいありましたし、旅先でのアクシデントもなんだかんだ楽しいものです。この旅行記を通じてみなさまにもアフリカという非日常感を追体験していただけたのなら幸いです。
さて、僕は自分の好奇心に負けてアフリカを訪れることになったわけですが、正直もう行かないでいいかな、という気分です。読者のみなさまの中にもアレルギー体質、綺麗好き、植物でかぶれやすい、日光にも弱い、海外の食べ物あんまり口に合わない、という僕のような面倒臭い体質の方がいらっしゃると思います。そのような方々には正直アフリカはお勧めしません。せめてエジプトとかモロッコとか地中海沿岸にしましょう。ですが、同時に勇気を振り絞り、あらゆる対策を施したうえでチャレンジする価値はあるとも思います。というのも、アフリカ(といっても広いですが)では自分の今までの常識や価値観を根底から覆されることだらけです。ありきたりな言い方ですが、世界が広がります。“世界が広がる”とはどのようなことかもつらつら書き連ねたいところですが、流石に僕のお気持ち表明を長々としてもつまらないので割愛します。最後まで余計なことをいろいろと書きましたが、伝えたいことは一つ。とにかく旅に出ましょう!非日常を味わいましょう!そしてよろしければアフリカにも足を運んでみてくださいね!(…といいつつ僕は次はヨーロッパに行きます。パリ行きたい!!!…けどベルリンかも…?)
今年も字数を気にせず書いた結果こんな長文・駄文を生成してしまい大変反省しております。ここまでお付き合いいただいたみなさま(いますかね…)、ありがとうございました。クリスマス感が皆無ですがみなさま楽しいクリスマスをお過ごしください。Joyeux Noël !