そろそろ普通の旅行がしたいっていう話(中)

 本日はいよいよケニア編が始まります!どんな波乱万丈が待っているのか?お楽しみに!

4.将来の夢はライオンさんです(by幼稚園時代の僕)

 ケニア到着翌日。ナイロビを発ち、車でロイトキトクへ。といってもほとんどの方には伝わらないと思うので補足すると、ロイトキトクはタンザニアとの国境あたりのキリマンジャロの麓にあり、ナイロビからだと車でだいたい4時間くらい。ぼっこぼこの道、絵の具を撒いたのかと思えるくらい赤いラトソル、その辺で放牧されている牛、その辺にいるシマウマ、言い方は悪いが見るからにボロい屋台(?)のような建造物が連なるマーケットなどいかにもアフリカな光景を見ながら一路南へ。ロイトキトクでは日本の方が代表をされている教育系のNGOを訪問し、職員さんや実際にその学校に通う生徒と交流した。日本でいうと小学生くらいの年頃の子供がたくさんおり、交流するというか半分襲われた。写真撮って!とせがまれるしいざ撮ろうとすると大量に集まってくるし、一緒に写真撮ろうとしたらみんな背中にのしかかってくるし、なにが面白いのか髪の毛すごく触られるし…などなどそれはまあ元気いっぱいだった。可愛かったけども。あとみんな自分の部族語+スワヒリ語+英語のトリリンガルですごい。ケニアの8歳の方が僕よりはるかに英語できる気がする。という感じでケニアの人々は子供も含めて言語の学習能力が異常に高く、面白半分で日本語をちょっと教えたら発音まですぐに覚えていた。ケニアの子供すごすぎる。身体能力でも頭脳でも負けてそう…とちょっと敗北感を覚えながら元気いっぱいの子供達にもみくちゃにされた。子供達と戯れ、おまけに風も強くて赤土まみれになったあとはNGOの代表を務める日本の方のお家…といいつつ日本の方はおらずNGO所属のケニア人の事務所なのか家なのかよくわからないところで夕食をいただいた。またまた美味しく食べられ、ケニア料理いける…?と自分を過信した。食後は近くのロッジへ。このロッジはぱっと見良さげなのだが足拭きマットの裏にうねうね系の虫がいたり部屋が激狭だったりといろいろ大変だった。が、お湯が出て水回りもある程度清潔でベッドメイキングも最低限されているありがたみをこのときの僕は知らなかった。

 ケニア3日目。前述の通りキリマンジャロの麓ということもあり、朝日とキリマンジャロの共演を見られてちょっとテンションがあがった。そしてこのロッジの朝食で出たパンらしきものがとてつもなく美味しかった。パリを除けば海外で食べたパン類ランキングで堂々の1位と言ってもいいくらい美味しかった。のちのち知るのだがこれはマンダジというパン?で、ケニアをはじめ東アフリカ一体で食べられているものらしい。みなさんぜひ一度は本場でお召し上がりください。そんなこんなで感動の朝食を済ませたらこの日は丸一日アセンボリ国立公園でサファリ、の前にマサイビレッジへ。おそらく日本で一番有名であろう部族(適当)の集落で彼らの文化に触れた。まず言わなければならないのはマサイのジャンプ力は凄いということ。とんでもなく高く飛ぶのだが、それが舗装もされていないありのままの草原で、しかもぺったんこのサンダルで飛んでいるのだから彼らの身体能力の高さには驚嘆。マサイビレッジでは集落内を見学したり民家に入らせてもらったりした。そしてフレンドリーな感じで見学が終わると手芸品を売る場所に連行され、ほぼほぼ押し売りが始まる。いくつか店舗?というかレジャーシートを敷いてその上に売り物を並べている売り場があるのだが、他のところも見たいというと日本人1人1人にぴったりついたマサイの人がここのお店で1個買ったら次見ていいよ!と言ってくる。まあそれも一つの文化だし彼らの強かさに触れられたのは良かった。ちなみにここで入手したというか入手させられたケニア柄のブレスレットっぽいものに後々カタールで助けられることになるのだが、それはまた後ほど。

マサイビレッジを後にして国立公園へ。道中キリンがいたりと街中にも動物園にいるような動物がたくさんいて人間と自然の共生を実感する。国立公園に入るとぼっこぼこの道をランドクルーザーで豪快に走っていく。一瞬空中浮遊する瞬間が多々あるし座席から吹き飛ばされそうになるくらい横揺れもすごい。マサイの運転手のお兄さん曰くAfrican Massageらしい。たぶん今後どんなジェットコースターでも比較対象がこれになるし物足りなく感じるだろう。そんな絶叫系アトラクションを楽しみながら周りを見渡すと、ただただ大自然が広がっている。周りに車もおらず、360°見渡す限りキリマンジャロとその麓の大平原が広がり、人工物が一切ない環境である。ありきたりな言葉だが、人間のちっぽけさを心の底から感じる。これは映像やVRではわからない、現実世界でしか体験できない感覚だと思う。大平原のど真ん中で車のエンジンすら切られると視界にはありのままのアフリカの大平原が広がり、風の音しか聞こえない。近くをゾウの大群が通りかかってもゾウの足音、低木をかき分ける音だけが聞こえる世界。人工物に囲まれて生きる人間という生物種が忘れていた“一つの生物種としての人間”の感覚を味わうことができた。文才がないため文字でお伝えできずにとても歯がゆいのでぜひ人生で一度はサファリに行ってみていただきたい。僕がお伝えしたくても伝えきれなかったほわぁっていう感覚がおわかりいただけるかと思う。そんな感動に打ち震えながら車にとてつもなく揺られる。いろいろな動物を間近に見られ、大量発生しているシマウマくらいでは途中から何も思わなくなるほどたくさん動物を見られた。ゾウ、シマウマ、バッファロー、ガゼルはほぼどこにでもいた。(というかシマウマはサファリに限らず街中にもいたが…)イボイノシシ、カバ、ライオン、よくわかんないけど綺麗な鳥、フラミンゴ、目が合い続けるサル、さらにはチーターも見た。ドライバー曰くすごく運が良かったらしい。特にライオンが群れで狩りをしているところを目の前で見られるなんてそうそうないらしい。僕の小さい頃の将来の夢はライオンだったので憧れ?の存在の勇姿を間近に見られて興奮した。ちなみに流石マサイだけあってドライバーの視力がとんでもなく良く、ドライバーにあそこに動物がいるよ!と教えてもらって我々日本人は双眼鏡で必死に探してようやく見つけられる、ということが多々あった。なんで遠くにいるキリンのツノでオスかメスか判断できるのかわけがわからない。双眼鏡でも難しかったんだが。とそんな感じでライオンが狩りをしているところ、ゾウが目の前で水浴びをしていたところ、カバが水面下からでてくるところなど数えきれないほど多くの光景が脳裏に焼き付いているが、一番は日が傾いた時間帯に雄大なキリマンジャロを背に少し遠くで子連れのゾウの群れがのっそのっそと歩いていた光景かもしれない。その光景を目にしたとき、人間の力なんてなくても世界は回っているんだな、というよくわからないことをなぜか考えていた。最近は将来社会の役に立ちたい的なことを考えるが(もちろんそれは人間社会で生きていく以上考えなければならないことだが)僕ができることなんて、もっといえば人間ができることなんて全世界から見ればちっぽけなことで、色々な人の力で世界が成り立っていると思っているが(もちろんそれは人間社会ではその通りなのだが)人の力が及ばないところでも何事もなく当たり前に世界は進んでいくのであって、そんな世界で僕は人生をかけて何をしたいんだろうか…と身の丈に合わない真面目そうなことをその後車の中でずっと考えていた。人間社会の中で生きていくんだからそんな大それたことを考える必要はないしたった一人の大して能力もない人間が世界について考えることなんて図々しいのだが、そんなことを考えさせてくれる力がアフリカの大自然にはあるのだろう(適当)。

そんな真面目なことを考えていた3日目は先述の日本人の方の(?)家でホームステイを体験した。まあケニア人しか家の中にはいないし家の中に日本要素は皆無なので一般的なケニア人の家でホームステイをしたようなものだと思う。その家はまあ耐えられる程度の衛生環境だしお湯も出た。シャワーとトイレも別だった。が、部屋が丸々シャワーなのはいかがなものか。といっても伝わらないと思うので付言すると、まず普通の廊下(海外なので土足)を想像していただきたい。そしてある部屋のドアを開ける。と、その中はタイル張りになっていてポツンと固定式のシャワーがある。ご想像いただけただろうか?要するに着替える場所もないしシャンプーなどを置いておくラックもない。そんな斬新な設計だった。ちなみに寝室に大きいクモがいて発狂した。虫がいなくなるスプレーとDEETという強めの虫除けスプレーで戦った。こちらの都合で生命体に危害を加えるのは気が引けるが、向こうの都合でこちらの心理的安全が害されるのもよろしくない。比較衡量の結果僕の心理的安全が勝ちました。クモさんごめん。クモ大っ嫌い。ちなみに虫除け系のスプレーを室内で大量に散布すると舌がビリビリして気管支の辺りに違和感を覚えることになるが、歯磨きをすると解消されるという今後おそらく使うことはないであろうライフハックを習得した。が、1匹くらいでわーわ―言えるのは幸せだったのだと後々思い知ることになる。

5.実家のような安心感(ナイロビ)

 4日目。キリマンジャロとお別れし、ナイロビへ。車の中は清潔だし気温もコントロールされているので睡眠場所としてちょうどいい。ナイロビまでの5時間くらいの半分以上寝た気がする。さて、ナイロビに着いてナイロビ観光、といきたいところだが同日ナイロビ市内でサミットが予定されており、さらに数年前ナイロビのショッピングモールでテロが起きた(テロリストサイドにとっての)メモリアルデーが近いということもあり、日本外務省からテロ警戒情報がでていたためKICCという展望台だけ訪問。KICCはKenyatta International Convention Centreの略で、東アフリカ最大のコンベンションセンターである。日本との関係でいうとTICAD初のアフリカ開催の会議が行われた場所でもある。ということでケニアにとって政治的にかなり大事な場所で、警備が厳重なのはもちろんのこと、トイレが驚くほどに綺麗だった。豪華というわけではないが清潔感がすごかった。アフリカのかなり酷めの水回りも経験していたので本当に驚いた。正直言って日本のどんなトイレよりも清潔だし明るいと思う。それくらいすごかった。とまあそんな驚きはありつつももちろんトイレを見に来たわけではなく、KICCの最上階が展望台になっているので展望台に登った。日本では死亡事故を契機にほぼ姿を消したシンドラー製のエレベーターでなんともいえない感情になったが、早いし静かだし快適だった。展望台は高さ105mなので東京基準で言えば別に高くもなんともないのだがナイロビだとかなり高い建物で、ナイロビが文字通り一望できた。比較的高層の建物があるエリア、広めの邸宅があるエリア、ゴミゴミした集合住宅があるエリア、バラック小屋みたいな建造物が建ち並ぶエリアなどナイロビの状況がかなりわかって面白かった。展望台ではケニア人と思われるお兄さんにFrom Korea?と聞かれるレアイベントも発生した。だいたいは你好とかChinaとかいう感じで声をかけられ、ごく稀にJapanとかコンニチハとか言われるのだが、韓国はこれが最初で最後だった。

 それ以外は特に変わったこともなく、KICCを後にしたらちょっとだけナイロビ市内を車で巡りホテルへ。このホテルは素晴らしかった。ケニアでは床や天井や壁が謎に汚れているのが当たり前なのだがこのホテルはきちんと白かった。しかもベッドメイキングも完璧だしタオルも綺麗。お湯は当然のように出るしシャワーカーテンもある。虫もいない。ただし部屋の配置だけは謎で、90番と92番の部屋は2階にあるのに91番の部屋が3階にあったり、102番の隣が104番でその3部屋くらい隣に103番があったりと数字という概念を覆す部屋配置だった。まあ部屋が本当に快適だったので何の文句もない。ナイロビは安心できる…とナイロビの評価が僕の中で爆上がりした。

6.ただいま、北半球

 5日目。清潔で快適なナイロビのホテルとお別れし、キスム・アヘロへ向かう。例の如く補足すると、これらはケニア西部のヴィクトリア湖沿いのギリギリ南半球に位置するほぼ赤道直下の街である。ヴィクトリア湖沿いということから察せる通り、ナイロビと違って標高が低めでちゃんと暑い。気温でいうと32℃くらい。そんな街に車で7時間くらいかけて移動する。延々と車で北上し、アヘロにつくと舗装された道から舗装されていないサファリみたいな道に入る。そして車が通ることが絶対に想定されていないであろう獣道のようなところを無理やり通り、ルオ族のコミュニティに到着した。現地でコーディネートしてくれるのはWomen empowerment系のNGOの方で昔日本大使館の草の根無償を受けていたらしい。午後3時くらいに現地に着いたのだが、そんな時間でもランチが始まる。日本でも土地ごとに食文化が違うようにケニアでも土地・民族ごとに食文化が違う。なにより日本ほど食文化が一つに収斂していないので地域差・民族差が大きい。ルオ族が住む地域はヴィクトリア湖沿いかつ年中暑い地域ということが要因なのかは知らないが湖でとれた海産物が多く、かつお米もインディカ米系統ではなくジャポニカ米系統のものが出てくる。ウガリはどこでも出てくるが。こう書くとなかなか日本人の味覚にはマッチしそうではあるが(実際使っている食材的には日本人にも馴染みやすそうなものが多かったが)正直ここの食べ物はあまり口に合わなかった。これは僕だけではなく周りの人たちも言っていたのでおそらく日本人にはあまり合わない食文化なのだろう。にもかかわらず現地の人が“Eat all! African culture!”と言ってくるのでみんないっぱい食べた。一つ言っておくと、別に彼は嫌なやつということでは全くなく、なんなら正反対でケニア人好感度ランキングでトップ争いをするほどの人物であり、後々内輪で語り継がれる偉人である。食後は彼が代表を務めるNGOの敷地を案内してもらった。点滴灌漑をやっていたりナマズやティラピアを養殖していたりと思ったよりハイテクで驚いた。そして昼食のわずか3時間後、同じくルオ族の家庭料理の夕食がでた。正直いろいろな意味で食べられない。が、彼は魔法の言葉を投げかけてくる。結構頑張った。その日のホテルはアヘロのなんたらリゾートという施設で、施設名からわかる通りリゾートっぽい綺麗なつくりで宿泊するところはリゾートらしくコテージっぽくなっていて外観的には大いに期待できるところだった。わくわくしながら室内に入る。室内もぱっと見綺麗。水回りもまあ及第点(ケニア基準)。ただちょっと暑い。あとホテルの従業員が電話のチェックをすると言って入ってきたはいいものの、“It doesn’t work, but if you need any help, call 100.”と訳がわからないことを言って去っていったことくらいだろうか。ちなみに本当に電話は使えなかった。ただそれくらいだと思っていた。が、恒例のベッドの安全確認(※衛生状況に関して)とファブリーズ散布の儀をするためにいざ布団をめくると、小さな虫…というかクモの死骸がいくつかある。これはよろしくない。と思い枕をひっくり返すと、その裏にはクモが生きている状態で大量発生している。発狂。さらによくよく見ると壁にもたくさんクモがいる。しまいには天井から吊るされた蚊帳から堂々とクモが垂れてきた。最悪だ。この日はほぼ一睡もしなかった。

 6日目。朝ごはんの会場で情報交換をしたところ、我々の部屋はまだマシだったようだ。聞けばヤモリ大量発生の部屋、アリが巣を作っている?部屋などなど、どこも酷かったらしい。おうち帰りたいよお…と思いながら朝食をとっていると、飼い猫なのか野良猫なのかは知らないが猫が迷い込んできた。猫はダニがいたりと触るのはよろしくないのだが、足元に擦り寄ってくるくらいなら癒される。荒んだ心をちょっとだけ癒してくれた。ほどなくしてホテルを発ち、件のNGOの本部と草の根無償で建てられたという産科病棟を見学しに行った。産科病棟には日本の税金が投入されたこともあってThis Project was Sponsored by the Government & “the People” of Japan…と書いてある銘板があり、まだ納税面で全然貢献していないものの一日本国民として誇らしくなった。その後は現地の大学生とケニアの汚職が蔓延していたりコネでしか仕事を得られない(弁護士や医師のような専門職でも)状況についてディスカッションをし、ルオ族の家庭料理のランチをとってまたカルチャーハラスメント(?)を受けてルオ族の地を後にした。アヘロを発った我々は北上し、赤道を越えて北半球にあるナンディへ。当然赤道を越える実感はないのだが、北半球というだけで帰ってきた感がある。さて、ナンディは高地にあり、茶葉の一大生産地である。ナンディに近づくにつれて車窓にも茶畑が広がり、紅茶同好会員の血が騒ぐ。現地のコーディネートをしてくれるカレンジン族の人との集合場所を決めていないという信じられないぐだぐだのせいでナンディに着いてから小1時間無駄に車を走らせ、目的地である本日のホテル(男性陣4人が隔離されるところ)にはほぼ日没くらいの時間についた。そこではチャイをいただき、わかりやすく女性陣にしか興味を示さない件のカレンジン族の人から歓待?を受けた。ここまででなんとなくわかったのだが、一般的にキクユ族は最大勢力だけあって民族というよりはケニアという国にアイデンティティの根源を定める感じで割とオープンマインド、ルオ族は真面目、カレンジン族はパリピというイメージ。そんなカレンジンの地であるナンディでなぜか我々男性陣4人は岡の上のホテルに隔離されるわけだが、ディナーは女性陣が泊まるホテルでとるらしいので夜7時過ぎくらいにわざわざホテルを出て車で真っ暗な道を1時間近く走って女性陣のホテルへ行きディナータイム。ティラピアの素揚げは美味しかったが、カレンジン族伝統のムシークという僕の感覚でいうとちょっと発酵でやらかしちゃったようなヨーグルトは匂いでだめだった。そんなこんなで女性陣のホテルを出る頃にはすでに9時を回っており、再び1時間近くかけてホテルに戻った。ちなみに翌朝の出発は6時。うわあ。さて、この日のホテルはというと、なぜか(我々の部屋だけ、かつ1部屋だけ)廊下沿いが一面ドアも壁もガラスでカーテンを閉めないと部屋が廊下から丸見えという面白い構造の部屋だった。ちなみにもう一部屋はシャワーの真下にトイレがあり、かつ洗面台のせいでバスルームのドアがほとんど開かないというこちらも面白い構造の部屋だった。人間が使うことを想定していないのか…?僕たちの部屋のバスルームは広くて余裕があったので(ただ広かったおかげで何も考えてない配置でもなんとか助かった感はあるが)僕たちの部屋の方がましだろう。流石に可哀想なので別部屋の2人も我々の部屋のシャワーを使うことになった。一通り虫・衛生面のチェックをし、ちょっと大きめでアクティブなクモはいたもののそんなものは慣れたので簡単に退治し、部屋の中は安全を確保したはずだった。なのだが、4人がこちらの部屋に勢ぞろいしシャワー浴びるか〜という雰囲気になったとき、カーテンの裏から大きめのカマキリさんが出現した。しかも元気に飛び回る。それはもう我々一同大パニックである。飛び回るせいでカマキリにスプレーを直接吹きかけられず、やむなく部屋中に虫がいなくなるスプレーと強めの虫除けスプレーを散布してカマキリの様子を窺う。するとなんということでしょう。カマキリがなにもしていないのにみるみる弱っていき、最後は部屋の隅で動かなくなった。一件落着…なのだろうか。とりあえずみんなでシャワーを浴び、なんかその場の流れで夜2時近くまでいろいろ話し合った。結果3時間くらいしか寝られなかった…。

 7日目。宿泊客全て合わせても我々日本人4人+ケニア人のドライバーさん1人という寂しい朝食会場で朝食。なんか鼻にDEET(虫除け成分)の匂いついたみたい〜とみんなで笑いながら話していたが、どうやら僕がDEETの匂いを撒き散らしていたらしい。言い訳をすると周りの人たちも各々DEETを親の敵のごとく振り撒いていたのであまり人のことを言えないと思うが…。そんなこんなで僕を筆頭に一部の学生が歩く虫除けと化したこの日は朝イチでキプチョゲ・スポーツセンターへ。このスポーツセンターはケニアの陸上選手がトレーニングをする施設らしく、日本の選手も何人かここで訓練しているとか。メダリストが何人も出ているらしいしナンディ群政府としてもスポーツ振興をすごく推していた。その証拠?になんか群議会議員まで出てきた。と思っていたらスポーツセンターを出た我々は車に乗せられて群政府の庁舎に輸送され、副知事?を表敬?することになった(※最後まで状況がよくわからなかった)。が、なんか日本政府の協力に感謝してるし今後も…的なことをおっしゃっていたので政治的な力が働いたのだろう。正直我々のような学生にそこまでの影響力を期待して意味あるのか?とは思うがこの機会に限らずケニアの人たちは我々とやたら連絡先を交換したがる(そして何かのおりに協力してもらいたいと思っているらしい?就職が完全にコネしかない社会らしいと言えばらしいが)のでケニアの人々にとって日本の大学生はとりあえず“話したことがある”くらいの事実はほしいくらいに思われているのかもしれない。庁舎を出た後は予定通り紅茶の工場へ。CTCの工場を見学し一通りの製造過程を見られたのはすごくおもしろかった。お土産に茶葉ももらったし。その後カレンジン族のコミュニティに行きかなり遅めのランチ。そして歓迎のしるしだよ!ということで目の前でその辺を歩いていた羊を捕まえ、屠殺現場を見せてくれた…というか流れ的に見ざるを得なかった。もちろん一部始終を見るのは初めてでなかなかにくるものがあったが、21年間さまざまなものを口にしてきて生き物の命を奪う瞬間をあまり見ていないというのも変な話といえば変な話である。しかも放牧していた家畜を自分たちで屠殺して食べるという行為は現地の人々から見れば当たり前の日常で、屠殺にびびっている我々こそ日頃お肉を食べているくせになんでお肉を作る過程にビビるんだという感じだろう。心にくるものはあったが見られてよかったとも思う。あとなんで魚を捌くのはビビらないし踊り食いなんていうもっと極悪非道な食文化も当たり前のように受容しているのに哺乳類や鳥類だと抵抗があるのか不思議に思った。そんな歓迎の儀?を終えたらあたり一帯の散策へ。茶畑で茶摘みをさせてもらったり、コーヒー豆を生で食べさせてもらったりと農園見学みたいで面白かった。そして夜は“新鮮な”羊肉を使ったニャマチョマ(要するにBBQ)を食べ、ホテルへ。この日のホテルはぱっと見よろしくない雰囲気が漂っていたが部屋の中は清潔だし虫もおらず水回りの設計もちゃんと人間が使うことが想定されていた。まあそれなりに長い時間停電はしたが今更停電如きではビビらない。我ながら強くなったものだ。とても快適に眠ることができた。

 いよいよケニアも残すところあと2日。ケニアの後にはおまけで灼熱のドーハ1日弾丸旅行記もありますよ!明日もお楽しみに!